あなたの常識は間違ってるかも?独眼竜・伊達政宗のウソ
- 伊達政宗ってかっこいいよね!
- 歴史の教科書って本当に正しいの?
この記事はこんな方に向けて書いています。
どうも!「ホモ・デウス」の書評を書こうとしたんですけど全く理解出来ずに5分で諦めた fab5 です♪
皆さんは戦国時代って好きですか?
最近は戦国イケメンキャラとかの出現で歴史が好きな女子なんかもチラホラいるみたいですが…
ちなみに僕は学生時代に「信長の野望」とか「戦国BASARA」等のゲームもやってまして、結構歴史は好きでした💆♂️
今回はその中でも「独眼竜・伊達政宗」の嘘について調べてみました。
参考にしたのは「最新研究でここまでわかった・戦国時代通説のウソ」という本です。
それでは、いってみましょう💪
独眼竜・伊達政宗の嘘
皆さんは伊達政宗という戦国大名がいたのをご存知ですか?
おそらくですが、日本男児であれば誰でもその名前を聞いた事あるかと思います。
三日月の兜を被って眼帯を着けてかっこいいですよね?
それではまず、伊達政宗という戦国大名がどのような人物だったのか説明します。
伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主。近世大名としては仙台藩の初代藩主である。
病で失った片目を眼帯で隠し、諸大名から「10年早く生まれていたら天下を取れた」と高く評価されたと言われています。
しかし、「最新研究でここまでわかった・戦国時代通説のウソ」という本の中では、これを否定しています。
独眼竜・伊達政宗というのは、昭和の時代劇が作り出した偽りの姿であり、本当は眼帯などしていなかったというのです🤔
皆さんはこれ信じられますか?
伊達政宗といえばトレードマークは眼帯であり、個性的で結構好きな武将だったので正直ショックでした😱
なぜ嘘だといえるのか?
それでは、独眼竜・伊達政宗がなぜ眼帯をしていなかったというのか順番に説明していきたいと思います。
戦国時代に政宗が眼帯をしていたことを示す資料はない
政宗が天然痘という病気で片目を失ったのは事実ですが、眼帯を着けている肖像画など、政宗が眼帯をつけていたことを示す資料は一つもないそうです。
ん~。
もうこの時点で怪しいっていうかもうアウトですよね…
今現在で「伊達政宗」を書いてるイラストなんかは確実に眼帯してますけど、生きている時代に眼帯してた証拠が無いんですからね💦
発掘調査では、頭蓋骨から手術をした痕が無かった
1974年に行った発掘調査では、政宗の頭蓋骨に手術をした痕は発見されなかったそうです。
宮城県宮城郡にある瑞巌寺というお寺には木像である「政宗像」が保管されています。
その木像によると、政宗の顔は右目が白く濁った状態になっておりこれが本来の姿だったと言われています。
目は見えなくても眼球が無いわけではなかったんですね😑
なぜ眼帯を付けた独眼竜というイメージが定着したのか
それでは、なぜ伊達政宗は今のように「眼帯を付けた独眼竜」のイメージが定着したのでしょうか?
さらにその理由を調べていきます。
「独眼竜」という言葉は江戸時代の後期に作られた
まず「独眼竜」という言葉なのですが、これは江戸時代の後期に現れた用語であり、「眼帯姿の独眼竜」というイメージは完全に後世の創作になります。
「独眼竜」というのは、元々は中国で活躍した李克用という武将の異名でした。
これを頼山陽という詩人が政宗を李克用になぞらえ、詩の中で「独眼竜」と記したそうです。
1987年の大河ドラマ「独眼竜政宗」
次に眼帯を着けているイメージはどのようにしてついたのか説明します。
眼帯姿の伊達政宗のイメージが世の中に定着したのは、1987年のNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の大ヒットが影響したそうです。
このドラマでも当初は、役者のまぶたを糊(のり)で閉じる予定だったのですが、役者の負担が大きいため眼帯を採用するようになったそうです。
僕達のイメージする「独眼竜政宗」は、ドラマの役者がしんどかったから生まれたものなんですね笑
まとめ
今回は当ブログ初の歴史ものである「伊達政宗の嘘」について解説しました。
ちょっと今までと毛色が違う内容で面食らいましたか?笑
このブログはどうしても「僕が興味があるもの」という趣旨で運営しているので内容の振り幅が激しい記事もあるかもしれません。
このブログを読んでいる読者の方でも「あ~、今回のやつは別に興味ないわ」みたいな回があればいつでもスルーしちゃってくださいね笑
最終結論として、この記事で言いたかったのは僕らのイメージしてる伊達政宗は
ドラマ役者がしんどかったから生まれた
ということだけ覚えててくれたらバッチリです笑
それでは最後までありがとうございました´ω`)ノ
あ、あとTwitterのフォローボタンを設置したのでもし良かったら友達になってください。
フォロワー少ないのです笑